1990年3月29日。
千葉市動物公園に、まだ若い2頭のニシゴリラがやってきました。

オスのモンタと、メスのモモコ。
この出会いこそが、すべてのスタートラインでした。

当時は、現在のような適正飼育ガイドラインがなかった時代。
食事や栄養管理を、どのように整えるのか。
大きな力を持つゴリラが、安全に暮らせる環境をどうつくるのか。

目の前の2頭を観察し、一つひとつ手探りで正解を探していく。
それは、正解のない問いに一つひとつ向き合っていく、地道な試行錯誤の連続でした。

ともに成長するなかで、それぞれの個性やモンタとモモコならではの関係性も少しずつ見えてきました。

2頭との日々は、千葉市動物公園に何を教え、35年後の挑戦へ何を残したのでしょうか。
飼育記録と飼育担当者へのインタビューをもとに、30年以上続く挑戦の始まりをひも解きます。

すべてはモンタとモモコの出会いから始まった

モンタ(左)とモモコ(右)

千葉市動物公園では、1985年にオスのゴリラ「シャロン」を飼育していましたが、本格的なゴリラ飼育と繁殖への歩みは、1990年にモンタとモモコを迎えたことから始まりました。

千葉市動物公園が迎えたのは、まだ若い2頭のニシゴリラでした。

オスのモンタは推定4〜6歳。
メスのモモコは推定6歳。

ゴリラと人間では、体や行動が成長する速さや、繁殖できるようになる時期が異なります。
そのため「人間なら何歳」と単純に置き換えるのは難しいですが、当時の2頭は、どちらもまだ大人になる前の成長途中でした。

まだ若い2頭を迎える。
それは、単にゴリラ舎を用意して終わるものではありませんでした。

食事は、どのように与えるのか。
どのように園内へ運び、どのように部屋へ入ってもらうのか。

2頭が実際に暮らす姿を想像しながら、設備や動線に危険な場所がないか、一つずつ確かめていかなければなりません。

当時は、現在のような適正飼育ガイドラインがなかった時代です。
すでに用意された正解に沿うのではなく、目の前の2頭を観察し、その反応を確かめながら、飼育方法を少しずつ積み上げていきました。

ここから、モンタとモモコとの日々が始まります。

ともに成長していくなかで、それぞれの個性や、2頭ならではの関係性も少しずつ見えてきたのです。

飼育員さん

当時は、現在のようにガイドラインがなかったため、飼育方法や栄養管理について、他園の飼育員にも相談していたそうです。

ゴリラの健康を支える食事を探して 〜当時モンタとモモコが食べていたもの〜

モンタとモモコの健康を守るうえで、毎日の食事は避けては通れない大きな課題でした。

当時は、バナナやオレンジといった果物や、食パンを多く含む食事が与えられていました。
しかし、歳月とともにゴリラの健康に関する知見は深まっていきました。

大きな転換点は、2000年頃のこと。
飼育下の類人猿に「心疾患」が多いことや「肥満」が課題となっていることが知られるようになりました。

飼育員さん

この頃から、果物や食パンを中心とした食事から、葉物野菜や根菜類を中心とした食事へ徐々に変更していきました。

現在、果物や食パンは「ハズバンダリートレーニング」などの際に少量与えています。

飼育の方法は、一度決めたら終わりではありません。
新たに分かったことを取り入れながら、その時代の知見に合わせて見直していきます。

モンタとモモコの食事が変化してきた過程も、現在のゴリラたちの健康管理につながる大切な積み重ねとなっています。

学びのポイント|ハズバンダリートレーニングとは

ハズバンダリートレーニングとは、動物が健康診断や治療に必要な動作へ、自ら協力できるようにする訓練です。体重計に乗る、口や手足を見せる、採血のために腕を差し出すなどの行動を、好物などを使いながら少しずつ覚えてもらいます。動物を無理に押さえたり、麻酔を使ったりする負担を減らし、日々の健康管理や動物福祉の向上につなげることが目的です。

まだ幼かったモンタとモモコ。長い歳月の始まり

モンタの幼少期2
モンタの幼少期(写真提供:千葉市動物公園)

千葉市動物公園にやってきたモンタとモモコは、まだ成長の途中でした。
来園してすぐに、繁殖を目指せる段階ではありません。まず必要だったのは、2頭が成長していく姿を見守り、それぞれの行動や変化を知っていくことでした。

どのようなことに興味を示すのか。
周囲の環境に、どのような反応を見せるのか。
飼育担当者たちは、日々の小さな変化を観察し、記録していきました。

すぐに目に見える結果が現れるわけではありません。
体の成長とともに、行動も少しずつ変わっていきます。

その変化を一つひとつ見守る時間が、将来の繁殖を考えるための土台となっていきました。
やがて飼育記録には、モンタとモモコが互いに見せた、さまざまな行動が残されるようになります。

幼い2頭が見せた、それぞれの個性

モモコの幼少期2
モモコの幼少期(写真提供:千葉市動物公園)

ともに成長していった、モンタとモモコ。
同じ場所で暮らしていても、2頭の行動は決して同じではありません。

当時の記録からは、モモコが自分からモンタに関わろうとする姿が多く見られました。

飼育員さん

1990年の来園当初、モンタは体格や成長度合いが早いメスのモモコに対し、追いかけられると「逃げ回る」といった強い回避行動を見せていました。一方モモコは活発な一面がありました。

同じ場所で育った2頭も、相手への関わり方はそれぞれ異なります。

飼育担当者たちは、日々の変化を記録しながら、モンタとモモコ、それぞれの特徴を知っていきました。

成長とともに変わっていったモンタとモモコの距離

当時の飼育記録には、2頭が互いに見せた、さまざまな行動が残されています。

【当時の飼育記録】

1991年1月:モモコがモンタをしつこく追いかける。その数日後は2頭でよく遊ぶ。
1991年3月:モンタが声を出しながら、モモコを追いかける。
1991年7月:モンタはモモコにマウントする行動を見せる。その数日後に2頭が向かい合って抱き合う。

追いかける。
一緒に遊ぶ。
そして、抱き合う。

一つひとつの行動から、2頭が互いに関わりながら成長していったことが分かります。

しかし、穏やかな行動ばかりではありませんでした。

1993年5月。
2頭の間で、激しい喧嘩が起きています。

さらに同年7月には、投げ入れられた青草をめぐって喧嘩となり、モンタが顎の下を負傷しました。

一緒に遊ぶ日もあれば、激しくぶつかり合う日もある。
2頭の関係は、ひと言で表せるものではありませんでした。

飼育員さん

当時の2頭は仲が良かったものの、繁殖には至りませんでした。

仲が良いことと、繁殖につながることは同じではありません。

飼育担当者たちは、日々の行動を記録しながら、2頭の関係の変化を見守っていきました。

こうして積み重ねられた記録や経験は、その後の繁殖への取り組みを考えるための手がかりとなります。
やがて千葉市動物公園は、繁殖の可能性を探るため、別の方法を試していくことになります。

「仲が良い」のその先へ 〜繁殖という高い壁〜

モモコ1
モモコ(写真提供:千葉市動物公園)

千葉市動物公園は、2頭の様子を見守りながら、繁殖の可能性を探り続けました。
2006年には、隣り合う展示場の間に新しい扉を設置します。

まずは2頭を別々に過ごさせ、柵越しに会わせる。
その後、同じ展示場で過ごさせながら、互いの反応を確認していきました。

モモコがモンタを追いかけることもあれば、次第に互いに距離を取ることもありました。
翌年以降には、モンタがモモコの後を追ったり、ドラミングをしたりする姿も見られています。

しかし、反応が続かない時期もありました。

柵越しに会わせたり、同じ展示場で過ごさせたりと、お見合いの方法を変えながら、2頭の反応を確認しました。
それでも、繁殖には結びつきませんでした。

仲が良いことと、繁殖へつながることは、必ずしも同じではありません。

飼育記録からは、2頭の反応が、時期や状況によって変化していたことが分かります。
だからこそ、どのように近づき、どのように離れたのか。
一つひとつの行動を記録し、次の方法を考えていく必要がありました。

モンタとモモコとの取り組みは、繁殖には至りませんでした。
しかし、2頭を観察し、方法を変えながら向き合った時間は、その後の繁殖計画を考えるための大切な知見となりました。

そして千葉市動物公園は、モモコの繁殖の可能性を広げるため、新たな選択へと進んでいきます。

【次回予告】〜モモコが上野へ向かった選択〜

モンタとモモコの繁殖が実を結ばなかったあと、モモコは新たな場所で繁殖の可能性を探ることになります。それが、上野動物園への移動でした。

長く一緒に過ごしてきたモンタのもとを離れ、別の環境で次の可能性に向き合うこと。その選択には、モモコだけでなく、日本のゴリラたちの未来を考える視点もありました。

動物園で暮らすゴリラは、ひとつの園だけで未来をつないでいくわけではありません。全国の動物園が連携し、血統や相性、繁殖の可能性を考えながら、次の世代へ命をつなぐ取り組みが続けられています。

次回は、モモコがなぜ上野へ向かうことになったのか。そして、その選択がどのように未来へつながっていったのかをたどります。